BACK アンナさんのB&B     3日目NEXT ダブリンのタクシー
 

早朝5時、前の道路にトラックの止まる大きな「音」がした。その直後に、玄関前で「ドスン」と大きな音がした。7時半に目が覚めた。カ−テンを通して朝の光が明るい。カーテンを全開し外を覗いて見た。庭の緑が朝のすがすがしさを感じさせる。夜に雨でも降ったのか道が湿っている。石畳の歩道を「学生」、「サラリ−マン」が一人、下の城壁の方に歩いている。車が3台立て続けに通った。バスが一台上に登っていった。その直後、小学生らしき3人の男子がいちびりながら通って行った。ここは、住宅の多いベッドタウンのようだ。ジョッギングパンツと靴に履き替え、静かに階段を降りドア−を開けた。天気は曇り、寒くも暑くもない。ドア−の横にアルミ製の大きな樽ある。ビールと思っていたが、「ミルク」と書かれていた。早朝に聞こえた音の犯人は、この「ミルク」だった。朝の澄んだ空気が気持ち良い。ダブリンはどこも空気は綺麗だ。下り坂を廃墟の城壁に向かって軽く走った。学生やサラリ−マンと出会う。城の入り口でスピ−ドを緩めた。そして、呼吸を整え芝生の「公園に入った。

 「雨」の為か、芝は湿って土も柔らかい。歩くと「キュッ、キュッ」と音をたて靴が沈んでいく。奥の城壁に向かって芝生の丘が広がっている。公園の北側を一本の小川が、緩やかな蛇行を描いて流れている。岸辺に、高い木が5〜6本まとまって立っている。東の遥か向こうに大きな工場の屋根が見えている。朝日が緑の芝生を照らしている。東の林に向かって走る事にした。昼間でも黒ネズミ色した廃墟の城壁は陰気だ。「よし、向こうの林迄走ろう」と決め、1分程走ってスピ−ドを上げた。5分も走ると次第に汗ばんできた。小川の北側に大きな潅木が茂っていて、大きな工場があがる。高いセメントの塀が、延々と東の方に延びている。ゆっくりと歩いて戻ることにした。もう、ドアー横のミルク樽はなかった。応接室を覗くと、テーブルの上にひっそりと新聞が置かれている、誰もいない。部屋に戻りシャワーを浴び、着替えて出発の用意をした。大きな荷物は、トランクごと空港で帰りまで預ける予定だ。ゴ−ルウエイに持って行く荷物だけをトランクから取り出した。身軽にしてゴールウエイに行きたい。1階応接室で新聞を読でいると、玄関でアンナ夫人が子供達を送り出している。時計は8時10分を指している。アンナは、彼らを送り出すと直ぐに奥に入って行った。主婦の仕事とお客の朝食の準備をしなければならない。彼女にとっては最も忙しい時間帯だろう。

2階から降りてくるお客の声が聞こえてきた。彼らが食事室に入って行くと、後を追うようにアンナさんが食事室に入って行った。客の要望を聞いている。暫くして、彼女が応接室に入って来た。先ず、目で僕に挨拶をかわした。「食事の用意は出来ていますが・・・」といつもの笑顔で尋ねた。「お願いします」と彼女の後に続いた。先客のカップルが窓側のテ−ブルで食事をしていた。彼らは、すでに70歳を過ぎていると思われる。紳士的で健康そうな夫婦だ。僕と彼らの目が会って互いに会釈をした。アンナは、彼らの横のテ−ブルに案内してくれた。昨日は食べ過ぎたので、ベ−コンはいらないと伝えコ−ヒ−をお願いした。横のカップルは既に食事も終わり、コ−ヒ−を飲みながら話していた。僕の目が、彼の目と再度会ってしまった。彼は眉毛をあげ、目をクリッとさせニコッと目で挨拶をしてきた。彼に「どこからですか」と尋ねた。「アメリカのミネソタからです。結婚50周年記念で、2週間でアイルランドを旅しています」と彼、「日本に来たことがありますか」と僕、「若い時、海兵隊に所属していたので1945年に沖縄に上陸したんですよ」と彼が静かに言った。その横で彼の妻が、「ニコニコ」と微笑みながら夫の話を聞いている。二人ともすでに白髪で、主人は小太りで妻はほっそりしている。物静かな人達だ。そんな話をしていたら、アンナさんが食事を運んできた。話が途切れたところで、彼らはアンナ夫人に礼を言って席を立った。僕には「良い旅を!」と言って出ていった。

 彼女は、テ−ブルをかたずけながら「今日からどこに行くか決めましたの?」と尋ねた。「あなたが勧めてくれた、ゴ−ルウエイに行くことにしました。3〜4泊する予定です」と僕、「それは良かったわ。ゴ−ルウエイは素敵な街よ。出発までに列車の時刻を調べてあげるわ」と嬉しそうに言った。まるで、彼女自身が楽しい旅に出るように・・・。食事を終え部屋に戻る事にした。入口で、彼女が誰かと電話で話をしている姿が見えた。僕に気づいた彼女は、「駅に発車時間を確認しいるところなのよ」とメモをしながら言った。彼女は、そのメモを手渡しながら「ゴ−ルウエイは静かで綺麗な町よ」と、「我が街」のように繰り返した。メモには、12時から5時までの発車時刻と、丁寧にも、到着時刻まで書いてくれていた。ダブリンからまっすぐ西に進むと、大西洋側の都市ゴールウエイに着く。アイルランド第三の都市と首都ダブリンを結ぶ幹線鉄道でさえ、1時間に1本もない。2時過ぎの汽車を見逃すと次の列車は4時過ぎ迄ない。約3時間半のヂ−ゼル列車の旅である。「お世話になりました。10分後に応接室で待っています」と部屋に戻った。トランクの中に梅干しと醤油、カップヌ−ドルが見えた。大急ぎで取り出しゴ−ルウエイに持って行く事にした。皮ジャン屋さんがくれた大きいビニ−ルバッグにそれらを入れた。

 
昨日の朝食で、僕が目玉焼きに醤油をかけていると、アンナさんが「それは、何ですか」と興味深く聞いてきた。「これを卵焼きにかけると美味しいよ」と彼女に言った。その醤油パックをあげる事にした。応接室で待っていると、彼女が入ってきた。50ポンド紙幣(1日、24ポンド2日分)渡した。そして、彼女におつりは電話代ですとかこつけて取って貰った。「醤油パックをプレゼントします」と手渡すと、「ああ、あのソースね。今日使ってみるわ、興味深いわ」と目をくりっとさせた。先ほどのアメリカ人夫婦が2階から降りてきた。予約のタクシ−が来たらしい。彼らは、アンナ夫人にお礼と別れの挨拶をした。横にいた僕には、「元気でね」と言って車に乗った。彼女はバスの発車時刻表を見て、「次は9時10分です」言いながら、奥に入って行った。出発迄新聞を見ることにした。しばらくして用事を澄ませた彼女が入ってきた。彼女に、「さきほどのアメリカ人夫婦は、結婚50年記念だそうですよ。アンナさん夫婦は、50周年記念出来そうですか」とちょっと冗談を言ってみた。「わからないわ」と茶目っぽくニコッと笑った。彼女は、「最近この国でも離婚が多いの、夫婦共働きが原因の一つだと思うの。だから、子供の面倒を見ていない。その事が子供に悪い影響を与えているのよ」と真剣な顔に戻った。僕は「日本の鍵っ子」と想像した。アンナ夫人は、外まで出てきて見送ってくれた。肩にバッグ手に袋を持って、トランクを「ガラガラ」と押しながらバス停に向かった。天気は薄雲りだが快適気温だ。時間どうりにバスが来た、1ポンド10ペニーを料金箱に入れた。バスはアンナの家の前を通り、坂道をどんどん下って行った。「アンナ、良い思い出をありがとう」と彼女の家に別れを告げた。城壁が現れると、バスは三叉路を右に曲がり空港の方に向かった。運転席のガラス窓から、ダブリンの西方の遥か彼方に、「山並み」が綺麗に見えている。あそこをどんどん登りつめて、西に向かうとゴ−ルウエイに着くのだろう。